ほとんどの努力は報われる。

努力が必ずしも報われるとは限らないって初めて言った人って誰なんだろう。

当たり前のように受け入れている言葉だけど、本当にそうかな。

基本、僕は努力とか一生懸命とか強い正義的な言葉が嫌いなんだけど、実は報われない努力なんてほとんど無いんじゃないかと思い始めている。

それどころか、努力することが一番の近道なんじゃないかとさえ思ってきている。

だって、何かを成し遂げる為には、そこに至るためにステップがあって、それをひとつずつこなして積み上げていくことが結果に繋がる。

努力ってそれを実現させるための一番確実な方法だと思う。


程度の差こそあれ、明らかに間違った努力をしない限り努力は報われる。


プロ野球選手になりたかったから一生懸命努力して練習した、でもなれなかった。
ミュージシャンになりたくてライブも沢山やって、曲も作って努力したけど、なれなかった。
毎日一生懸命勉強したけど、希望大学に受からなかった。

だから、努力は報われるとは限らない。

言いたいことは分かるけど、努力した分、野球は上手くなっているはずだし、自分が良いと思う曲を形に出来た訳だし、勉強した分、多少頭は良くなっている。確かにプロ野球選手やミュージシャンにはなれなかったかも知れないけど、その努力は無駄になっていないと思う。何かの形にはなっている。努力する前と同じということは無い。

プロ野球選手やミュージシャンになるって、結局周りの人間が決めることでそもそも努力量が決めることじゃない。受験も周りと比べられるものであって、自分がどれだけ成長したかで受かる訳ではない。

努力ってあくまで自分のレベル(スキル)を上げるもの。

ミュージシャンになるためにレコード会社にデモテープを持っていって沢山営業すれば、営業力は付くけど、契約してもらえるとは限らない。


とにかく、なんだかんだ理由をつけて、人は努力をしたがらないけど、自分のスキルを伸ばす(レベルを上げる)という目的に関していえば、努力はほぼ報われる。かつ、努力が一番効果的。

当然、気持ち的には努力しているけど、実質全然努力してないとかは駄目。

机の前に10時間座っていたけど、参考書1ページしかやってないとか。

そんな徒然。
 

 

勉強するほど、語学の○○さに驚く。

○○に入るもの、それは、

 

「地味」

 

です。



語学ってほんっと地味だな~と思う。

 

勉強するほどってまあ、大してそんな勉強している訳ではないけど、普通の人よりは語学のこと(特に、どうすれば短期間で外国語を身につけることができるかということ)を考えているという自負はある。

 

で、考えれば考えるほど、というか、考えても考えても、結局同じ結論になる。



「言葉なんて、ただの記憶」



結局、こういう気持ちの時はこの言葉を使う、これを表現するにはこう言う、というのがインプットされているだけ。

 

普段、話しているときは文法なんてほとんど意識しない。

 

例えば、「転ぶ」という動詞。


日本語の動詞の変化で言えば、「転んだ」「転ばない」「転びたい」などの形になるが、その都度、‘語尾の「ぶ」を「んだ」とか「ばない」とか「びたい」に変形させる’なんて考えない。

 

「転んだ」「遊んだ」「寝た」「食べた」

「転ばない」「遊ばない」「寝ない」「食べない」

「転びたい」「遊びたい」「寝たい」「食べたい」

 

というように、それぞれの単語を活用後の形でそれぞれ覚えている状態。

 

記憶を組み合わせて文章を作っているだけ。

 

文法で考えるよりも先に、記憶が答えを持ってくるので、それに従って文章を作るだけ。



だからといって、文法なんて勉強しないでどんどん会話練習をするのが良い、と言いたい訳ではない。 

 

日常で使う全ての文型や全ての単語(活用形含む)を覚えるのは相当な時間が掛かる。子供だって、生まれて数ヶ月で話せるようになった訳ではなく、人としてコミュニケーションが取れるレベルになるのには4年くらいは掛かっている。その言語のシャワーを浴び続けて4年である。ましてや大人と対等に会話ができるレベルになるには、少なくとも10年以上は掛かると思われる。

 

ひとつの言語を身につけるのに、10年。

 

長いよ。

 

そこで、この期間を短くするために登場するのが、文法。

 

言葉のルールを覚え、それを応用することでレバレッジを効かせる事ができる。

 

だから、短期間で外国語を身につけたいのであれば、文法の勉強は不可欠。




ちょっと話がそれてきた気がする。

 

そうそう、語学は地味だって話をしていたんだっけ。



単語にしろ、文法にしろ、結局、それを覚えていなければ使えない。

 

どんなに分かりやすい方法で文法を理解しても、それを覚えなければ意味がない。

 

最終的には知識として記憶する必要がある。

 

語学に限らず、他の学問も同じかもしれないけど。



なんだろう、語学って新しい発見とか感動とかが無さすぎる。

 

既に存在する単語と文法をひたすら覚える。

 

それだけ。

 

映画をみたり、ネイティブと無理やり話してみたり、いろいろ工夫することはできるけど、結局それは何のためにやるのかというと、単語と文型を覚えるため。どんなにたくさん映画を観て、どんなに沢山ネイティブの英語を聞いても、何も覚えなければ、語学力という面で見れば、何もしなかったのと同じ。

 

語学力を付けたければ、暗記(記憶すること)は避けて通れないし、それが全て。




もちろん、話せるようになったら、楽しみ方は無限に広がると思うのだけど、語学習得そのものはほんとにシンプルで超地味。



よって、勉強もつまらないw




はい、最後は愚痴です。



言葉を実利で守れ。

世の中の流れに、「守ろう」という意識だけで対抗し、それを継続させることはできるのか。


例えば、インターネットで世界中が繋がり始めた今、徐々に使用する言語の中に英語の割合が増えてくることは避けられないと思う。

特に、PC上での英語比率は年々増えていくと思われる。

そんな中で、誰かが、「日本語を守ろう」と言ったところで、その英語比率は下がることはない気がする。


ロマンだけでは大きな流れには逆らえない。

大きな流れに逆らう、または、その流れさえ生まないようにするには、実利が必要。

ヨーロッパの国々が何百年前の町並みを維持しているのは、プライドやロマンが支えているというよりは、その町並みがあることによって、観光客がくるから。

そういう実利があるから、過去が保たれる。

もちろん、最初は偉い人たちのプライドやロマンが自由な建築を禁止したという面もあるのだろうけど、それが結果として実利を生んだからこそ継続されている。


日本語を話すこと、日本語を残すことに実利がなくなれば、日本は意外とあっさり日本語を捨ててしまうかもしれない。

もちろん、今、既に生まれている人たちがその決断をすることはない(というかできない)と思うけど、100年後は本当に分からない。

ネットでの英語のやり取りが日常生活に徐々に浸透してきたら、それで育った子供はそれが当たり前になるし、その子供の子供はもっと当たり前になる。


今、僕らが日本語を話しているのも、友達や家族、そのほかの日本人と話す時に日本語で話すのが一番楽だし、自然だし、メリットがある、つまり実利があるからこそ使っている訳で、別に日本語を愛しているからという理由が一番で使っている訳ではない。

日本語じゃない言葉を使ったほうが楽に楽しく生きられるなら、そっちを使うだろう。



そんなことを、↓の動画を観ながら考えた。

って、この動画のメインテーマがこれって訳じゃないけど。



--英語公用語 ひろゆき 鳥飼玖美子 --

10:00頃から1分間くらい、ひろゆきが持論を展開するんだけど、その後、鳥飼さんがバッサリ否定するところが一番面白い。

 

英会話学校の陰謀は本当か。

よくネットで販売している英会話教材の販売ページを見ると、

「英会話学校に行っても話せるようにならない。なぜなら、彼らの目的はいかに生徒をスクールに継続して通わせて、できる限り長期間月謝を払わせるかであるからだ。だから、短期間で話せるようになって辞められたら困るのである。」

みたいに書いてあることがあるが、本当だろうか。


仮に、本当だとしたら、道徳的に間違っている以前に、そもそもビジネス的に間違っている。

まず、英会話スクールを辞める人の多くは、英語が話せるようになったから、辞めている訳ではない。

ほとんどが、英語が話せないから辞めていく。

むしろ、英語が話せるようになったら、英語を使うことがどんどん楽しくなるはずなので、上位レベルのクラスがあって、興味をそそる内容のレッスンをしていれば、そこに通う。

それから、英語が話せるになったら、回りの友達から、何で英語が話せるようになったか聞かれるだろう。

そこで、その英会話学校の名前が出たら、相当強い口コミになる。

その学校に通ったけど、全然話せるようにならなかったなんてマイナスの口コミよりよっぽどいい。


このぐらいのこと、英会話学校の人も分かっているはずなので、真相がどうかは分からないが、英会話学校に通ってもなかなか話せるようにならないのは、話せるようにならないように英会話学校が操作しているというより、ただ単に授業の内容がしょぼいだけだと考えられる。

それに週一回のレッスンだけじゃ、現実的に考えて、短期間で話せるようにはならない。

それだけの話だと思う。


まあ、そこに付け込んで、

「週3回のレッスンが、週1回のレッスンの2倍の値段で受けられます。週3回なので、単純に考えて週1回のレッスンの3倍の速さで英語が話せるようになりますよ、少しお時間的に大変かもしれませんが、今頑張っておけば後で楽になりますよ。お値段もレッスン数の割りにお得ですし。」

っていう営業トークもありそうだけど。。

 

なぜK-popアイドルは日本語が上手いのか。

なぜ韓国のアーティストたちはあんなに日本語が上手いのだろうか。

テレビで韓国のアーティストが日本語を話しているのを見るたびに思っていた。

何か特別な方法があるのだろうかと。


で、ネットとかでいろいろ検索してみたのだけど、
これという答えは無かった。

日本語と韓国語が似ているからという意見はあったけど、
なんかしっくりこなかった。


先日、YOUTUBEを適当に見ていたら、英語が話せる韓国のグループを見つけた。

そして、彼女らの英語習得方法を調べて、ひとつの結論に達した。


まず、この動画を見て欲しい。



Wonder Girlsっていう韓国のグループなんだけど、
ネイティブと問題なく英語で会話しているようにみえる。

調べたところ、ほぼ全員が帰国子女ではなく勉強で英語身につけたとのこと。
(アメリカに住んでいたことがあるメンバーもいるらしい。たぶん、右から2番目の子)

特殊な方法があるというわけではなく、ガチで頑張って身につけている。

少なくとも、この記事を読む限りそう思える。

自由時間に英語のレッスンを受けたり、毎週400単語を覚えるテストをしたり(80%以上正解しないと、間違えた単語をそれぞれ100回書かなければいけない)。

かなり、ゴリゴリに勉強している。


Soheeというメンバーは、この記事を読むとゴシップガールのDVDで韓国語と英語の字幕を見ながら知らない単語を覚えているという。

方法としては、ありがちな方法。



結局、

普通に頑張って身につけている

ということ。


日本語も同じだと思う。

空いてる時間にかなり頑張っているのだと思う。

なにか特殊な方法を使っているとかではなく。



その根性、見習いたい。

「やる気が出ない」という言い訳について。

やる気なんて出なくて当たり前。


別に、やる気がないこと自体は悪いことではない。


やらないことが悪いのである。


やる気がなくてもやれば、それなりの結果はついてくる。

 

やる気が出ないからやらないというのを続けると、


やる気が出ないことが悪いことだと刷り込まれていく。


やる気がなかったらやってはいけないと思うようになる。

 


やる気はでないけど、やらなきゃいけないことはある。


そんな時は、むしろ、やる気を出さず、やる気を求めずやる。

 

やる気って、そもそもそんなに重要ですかって話。


やる気なんて、行動のきっかけのひとつにすぎない。

 

そう、

 

「やる気がなくても、何でも出来る」

 

”結果を求めない”勇気を持つ。

「結果が全て」

「結果にこだわってこそ、プロ」


結果。


結果。


結果を求めることで、結果が出せれば、これほど楽なことは無い。


みんな、結果が大事だということは分かっているし、結果が欲しくて何かをしていることが多い。


でも、結果を出せない。



語学で言うなれば、


外国語を話せるようになれない。


TOEICで目標点が取れない。



つまり、結果を出せていない。


そして、結果が出せない恐怖と戦うことになる。




結果が出なくてもいいから、やるべきことをやる。


それだけでいい。


「結果が出なければ意味がない」


とか


「どんなに頑張っても、結果が全て」


とか


そんなん言われたら、普通、やる気なくなる。

それで、よしやろう!って思える人は、

相当、精神的にタフか、

頑張ることによる成功体験を積んできている人か、

無理している人、

ぐらいだと思う。


成功体験よりも失敗体験の多い人とか、

精神的に弱い、または怠け者は、

どれだけ気楽にやれるかが、ポイント。


語学はダイエットと同じで自分との戦いなので、
過程が充実していれば自然と結果もついてくる。


過程が良い=結果も良い


ということになる。



ていうか、


大体のことにおいて、過程が良ければ、結果も良いはず。


結果が良くないということは、過程も良くなかった


ということ。


ま、どの時点を結果とみなすかにもよるけど。

学生時代に英語が0点だった人が、どんなに良い過程を送ったところで、
勉強を始めて1週間でTOEIC800点を取るのは無理。


それは、過程のせいではない。

結果を求めるのが早すぎただけ。




何だか取り留めの無い話になってきたけど、


まとめると、



結果を求めない。

そうすると、練習(過程)が楽しくなる。

楽しいから、自然に多くやる。

その結果、技術が上がる(結果が出る)。



草野球的なノリでやればいいじゃん。



ということ。


あんまり思いつめずに、気軽にやろーよってこと。