「苦労は買ってでもしろ」

という言葉がありますが、 果たして本当でしょうか。


おそらく、若いうちに苦労しておいたほうが、後々楽だからという事だと思うんですが、わざわざ買ってでもするほど苦労って大事なのか。


たくさん苦労して、将来に備えるほど人生って長くないと思う。


てか、‘苦労’そのものには価値はそんなにない。

苦労して得られた知識、経験なり考え方なりが大事なわけであって。


他にもいろいろとこの言葉に対しては、言いたいことがあるんですが、長くなるので止めときます。

 

そもそもなんでこんなことを言い出したのかというと、


‘人生を楽しむ事に罪の意識を感じてしまう’


人って意外と多いんじゃないかと思ったから。


おそらく無意識に。

特に日本人は。


僕にもあるんですが、人生の楽しさって、ツライ生活の中にたまに訪れるオアシスのようなもので、だからこそ輝いて見えるし、楽しいんだっていう感覚。

だから、常に楽しいなんて状態はありえないし、まずは厳しい現実に耐えなければいけないっていうのが前提にある。


人生もっと楽しみたいと思っていても、

苦労が当たり前
ツライのが当たり前

と思っているから、いざ人生を楽しめる環境が与えられたり、人生を楽しめる可能性が十分にあっても、飛び込めない。

結局、いろいろと理由をつけて、ツライ方を選択してしまう。


なぜなら、

そっちの方が安心できるから。


ツライ思いをしながら一生懸命仕事をしたら、みんな認めてくれるし褒めてくれるし自分にも満足感がある。

でも、何から何まで心から楽しんでやったら、なんか申し訳ないというか、そもそも、心から楽しめない。
どこかでツライ事がある方が安心できる。


何なんでしょう、この残念な感じ。


人生、楽しむためにあると皆思っているのに、楽しみ続けることには抵抗がある。
365日ツライ毎日を送っている自分を褒めることはできるけど、365日面白おかしい毎日を送っている自分は、なんかイケナイ奴だと思ってしまう。


悲しい性(さが)。


ちょっと話が散漫になってきましたが、結局、言いたいのは、


何か目標があっても、過程を含め、人生って楽しんで良いもの。
ツライ思いを自ら求めていく必要はない。

楽しさを追求するその過程に、どうしても削ぎ落とせなかったツライ事がある。
その程度でいい。


人生、常に本番。

苦労している期間は準備期間ではない。


楽しめる方法を追求していきたい。