勉強するほど、語学の○○さに驚く。
○○に入るもの、それは、
「地味」
です。
語学ってほんっと地味だな~と思う。
勉強するほどってまあ、大してそんな勉強している訳ではないけど、普通の人よりは語学のこと(特に、どうすれば短期間で外国語を身につけることができるかということ)を考えているという自負はある。
で、考えれば考えるほど、というか、考えても考えても、結局同じ結論になる。
「言葉なんて、ただの記憶」
結局、こういう気持ちの時はこの言葉を使う、これを表現するにはこう言う、というのがインプットされているだけ。
普段、話しているときは文法なんてほとんど意識しない。
例えば、「転ぶ」という動詞。
日本語の動詞の変化で言えば、「転んだ」「転ばない」「転びたい」などの形になるが、その都度、‘語尾の「ぶ」を「んだ」とか「ばない」とか「びたい」に変形させる’なんて考えない。
「転んだ」「遊んだ」「寝た」「食べた」
「転ばない」「遊ばない」「寝ない」「食べない」
「転びたい」「遊びたい」「寝たい」「食べたい」
というように、それぞれの単語を活用後の形でそれぞれ覚えている状態。
記憶を組み合わせて文章を作っているだけ。
文法で考えるよりも先に、記憶が答えを持ってくるので、それに従って文章を作るだけ。
だからといって、文法なんて勉強しないでどんどん会話練習をするのが良い、と言いたい訳ではない。
日常で使う全ての文型や全ての単語(活用形含む)を覚えるのは相当な時間が掛かる。子供だって、生まれて数ヶ月で話せるようになった訳ではなく、人としてコミュニケーションが取れるレベルになるのには4年くらいは掛かっている。その言語のシャワーを浴び続けて4年である。ましてや大人と対等に会話ができるレベルになるには、少なくとも10年以上は掛かると思われる。
ひとつの言語を身につけるのに、10年。
長いよ。
そこで、この期間を短くするために登場するのが、文法。
言葉のルールを覚え、それを応用することでレバレッジを効かせる事ができる。
だから、短期間で外国語を身につけたいのであれば、文法の勉強は不可欠。
ちょっと話がそれてきた気がする。
そうそう、語学は地味だって話をしていたんだっけ。
単語にしろ、文法にしろ、結局、それを覚えていなければ使えない。
どんなに分かりやすい方法で文法を理解しても、それを覚えなければ意味がない。
最終的には知識として記憶する必要がある。
語学に限らず、他の学問も同じかもしれないけど。
なんだろう、語学って新しい発見とか感動とかが無さすぎる。
既に存在する単語と文法をひたすら覚える。
それだけ。
映画をみたり、ネイティブと無理やり話してみたり、いろいろ工夫することはできるけど、結局それは何のためにやるのかというと、単語と文型を覚えるため。どんなにたくさん映画を観て、どんなに沢山ネイティブの英語を聞いても、何も覚えなければ、語学力という面で見れば、何もしなかったのと同じ。
語学力を付けたければ、暗記(記憶すること)は避けて通れないし、それが全て。
もちろん、話せるようになったら、楽しみ方は無限に広がると思うのだけど、語学習得そのものはほんとにシンプルで超地味。
よって、勉強もつまらないw
はい、最後は愚痴です。